御宿町の歴史
御宿町の中でも、特筆すべき歴史上の出来事を時系列でまとめると、以下のようになっています。
1250年 頃 |
北条時頼が最明寺に宿泊した際、歌を詠む。これがきっかけで御宿という名前が誕生。詳細は本ページ下部。 |
1609年 9月30日 |
御宿沖で、サン・フランシスコ号の座礁事故が発生。詳細は本ページ下部。 |
1913年 6月20日 |
御宿村に、御宿駅が開業。 |
1914年 4月1日 |
御宿村が、町制施行して御宿町となる。 |
1953年 5月18日 |
国道128号が制定される。 |
1955年 3月31日 |
御宿町、下布施、上布施、岩和田が合併し、御宿町が発足。 |
1969年 |
御宿海岸に月の沙漠記念像が建てられる。 |
1990年 7月8日 |
上記記念像のすぐ近くに、月の沙漠記念館が開館。 |
サン・フランシスコ号の座礁事故
今から400年以上昔の話。スペイン人のドン・ロドリゴ率いるサン・フランシスコ号を含むガレオン船3隻が、フィリピンのマニラから、メキシコのアカプルコへ向かっていました。ところが1609年9月30日、日本の近海で嵐に遭遇し、御宿沖で座礁してしまいました。
この事故をみた御宿に住む村人たちは、乗組員たちを懸命に救助。食料や衣類を惜しみなく提供して献身的な介護をし、船員373人のうち317人の命を救いました。座礁事故を起こしたその場所は、今でもドン・ロドリゴ上陸地として残っており、訪れることができるようになっています。
回復したドン・ロドリゴは、さらに徳川幕府からも盛大な歓迎を受けることになり、最終的には徳川家康からガレオン船まで提供され、彼らは無事にメキシコへ向かうことができました。
この事故がきっかけとなり、日西墨、つまり日本、スペイン(西班牙)、メキシコ(墨西哥)の400年以上続く友好関係の礎となりました。岩和田地区には、この記念碑として、メキシコ記念塔が立っています。
現在では、メキシコのアカプルコ市、テカマチャルコ市という、2つの市と姉妹都市協定が締結されています。
なお、サンフランシスコ号座礁事故の詳細については、歴史民俗資料館で詳しく紹介されています。
御宿町の名前の由来
御宿町の歴史は古く、鎌倉時代中期(1250年頃)まで遡ります。北条時頼が諸国行脚する際、この土地にも立ち寄りました。北条時頼は、今も残る最明寺に宿泊したのですが、その時に風光明媚なこの土地のことを短歌で詠みました。
御宿(みやど)せし そのときよりと人とはゞ 網代の海に夕影の松
この短歌の中に出てくる「御宿(みやど)」が、そのままこの土地の名称になったのではないかと言われています。
その後、1889年(明治22年)に町村制が施行され、この地域に御宿村、布施村、浪花村という3つの村が発足。
このうち御宿村に関しては、1914年(大正3年)に町制施行し、御宿村から御宿町となります。
それから約40年が経った1955年(昭和30年)に、当時の「御宿町」。そして「布施村の上布施と下布施」、さらに「浪花村の岩和田」という地区が合併し、今の御宿町が誕生しました。
現在の地図を見ても、上布施や下布施、岩和田など、当時の名称がそのまま地区名になっているのが分かるかと思います。